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僕は6歳のときに急性リンパ性白血病で闘病をしました。
自分の病気のことを知ったのは18歳の高校生のときでした。病気を発症した当時、両親は「治療を終えて10年で治癒する病気」と医師から言われ、その10年目の誕生日に親から知らされました。
驚きはありましたが、意外とすんなり理解し受け入れた自分もおり、そのときの光景は今でも覚えています。
当時の両親の精神的負担は想像もつきません。指折り10年を数えたと、後に教えてくれました。
僕が退院してから不安なく過ごして来れたのは、紛れもなく家族の存在のおかげです。
僕が入院したのは6歳のときでした。
入院していた小児病棟には病室の他に院内学級が設置されていました。病院に設置された学校です。
そこは僕にとって救いの場でした。毎日検査をしたり、注射をしたり、薬を飲んだり、苦しいことがある中で唯一「病気」ということを忘れさせてくれる場所でした。
院内学級では、もちろん勉強もします。でも先生たちはカードゲーム、ときにはボールプールも用意してくれて、思う存分好きなことをさせてくれたことを鮮明に覚えています。そして許された遠足(といっても近くの公園なのですが)、切符の買い方を知らない子どものために切符の買い方を先生がビデオに撮ってきてくれて、授業中に見て覚えたりもしました。
そして、僕が大人になってから感じたこと。
それは、院内学級の先生方や医師、看護師さんたちは見えないところで、たくさんの連携をとってくれていたのだということ。当たり前ですが病院で “できないこと” は物凄く多いです。病気を治す場所なので。
僕たちは投薬治療の副作用で、いつも気持ちが悪い。でも、できることの中で最大限楽しいことを院内学級の先生たちは提供してくれました。
僕は、高校生のときにダンスを始めました。
自分の病気の事を両親から知らされてから、今まであまり思い出しもしなかった病院のことや、院内学級のことを思い出すようになりました。
ふとあるときに「今の自分に何かできることはないだろうか」と考えるようになりました。恩返しなんていったら、おこがましいですが同じ病気で闘病している子どもたちはもちろん、苦しさや辛い気持ちの中、必死に闘う子どもたちに何でも良いから自分にできることをしてあげたい。最初はそんな気持ちからです。
僕は当時お世話になった院内学級の先生にお願いをして、入院していた横浜市立大学附属病院の小児科院内学級でダンスワークショップをしました。本来は、ウイルス感染等の事情で家族以外の外部の人は出入りすることはできないのですが、医師との相談の上、また僕の想いと実際に入院し院内学級に通っていた先輩という立場から特別に許可をしていただきました。
多くの方の協力のもと、この活動は今でも年に数回続いており今では僕が入院していた院内学級を飛び出し、他の病院でもダンスワークショップをさせていただけるようになりました。
今僕はダンサーとして舞台に立つ仕事をしています。そして、ダンスワークショップは特別支援学校、病院(院内学級)以外にも福祉施設や社会福祉協議会、事業所など活動の場は広がっています。
よく保護者の方や先生からは「点滴繋いだままダンスなんてできるんですか?」「足が弱いからいつも座ったままなんです。ダンスできないですよね?」という事を聞かれます。僕の答えはいつも一緒です。
「できます!」
「点滴を繋いだままでも動かせる身体の部位だけでダンスをしよう!」
「立てないなら、座ったままやろう!」
と言います。恥ずかしそうな子も時々います。そんなときは「見てていいよ」と声をかけます。
でも本当はやりたいのを僕は知っています。「体を動かしちゃダメ」といつも言われ続けて、急にダンスなんてできないし、恥ずかしいし、先生の目も気になっちゃいます。でも、僕は楽しい世界にみんなを引きずりこみます。無理やりじゃないです。気づくとみんな踊っているんです。僕のつくった空間にいてくれるんです。僕はそれが嬉しくて、この活動を続けています。
一般的に皆さんが思っている「ダンス」と僕が思う「ダンス」が決定的に違うこと。それは「身体を動かすこと」がダンスじゃないということ。あえて「障害」という言葉を使いますが、例え病気や障害で身体が動かなかったとしても、コミュニケーションがとれなかったとしても、心が踊ればそれはダンスだと僕は伝えたいです。目の前の人が楽しそうに動いている。「一緒に動きたいな!混ざりたいな!」と感じた瞬間、心は踊っています。例えその空間に体が動いている人、動いていない人が共存していてもみんな心は踊っています。
子どもたちって、やりたいけど、どう混ざって良いかわからないときって、たくさんあると思うんです。僕がそうでしたが「仲間に入れて!」って、簡単な言葉だけど物凄く勇気のいる言葉です。でも混ざりたいんです。僕がワークショップをするときは、「一緒にやる?」と、すっと声をかけてあげるだけです。そうすると、いつの間にかみんな踊っています。
本当にダンスが嫌いな子なら、まずその空間からいなくなります。ですが少なからず僕が出会った子どもたちは身体を最後まで動かさず、座って見ていた子はいましたが、その場からいなくなった子は一人もいませんでした。「そりゃみんな目一杯身体動かしたいし、踊りたいよね」って思います。
僕が活動を通して一番伝えたいこと。それは「現実逃避」です。
この言葉はあまり良い意味で使われないと思うのですが、僕は大切な事だと思います。大人ですら不安や心配事を抱えて、日々、心がいっぱいになってしまうことがありますよね。入院していると子どもは小さな心で「明日検査があるな」「このあと注射だな」「一週間後は手術かぁ」と考えるんです。人って辛いことや苦しいことがあると記憶を無くします。そういう風にできているらしいのです。だから僕も当時の記憶は意外と鮮明なシーンが断片的にあるといった感じなのですが…
一週間後に手術が決まったら、そこから7日間は辛いんです。憂鬱で記憶がなくなるくらい嫌な時間を過ごし、そんな毎日の繰り返し。
1時間でも10分でも1分でもいい。そんなときに病気や障害の事を忘れられる時間をつくることができたら僕は嬉しいです。
現実逃避していいじゃない。それで生きるパワーが少しでも湧いてくるなら。そんなことを思っていつもみんなと踊ってます。だからダンスワークショップの最後には、僕は必ず全力でパフォーマンスをします。「同じ病気だったのに、あんなに身体を動かせるようになるんだ!」と少しでも思ってくれたらいいなという想いで。
そして一番嬉しいと感じるのは "笑顔" を見せてくれたり、「また来てね!」と子どもたちが僕に伝えてくれる瞬間です。
病気、薬の影響で半身麻痺だった子が手を動かしたり、心に病があっていつもは自分から発言をしない子が自分から発信してくれたこともあります。
「楽しい!」と思える時間は、それくらい生きるパワーを与えてくれると、僕は信じています。
「病は気から」という言葉がありますが僕はこの言葉がすごく好きです。
今 現在、医療は進歩して医師、看護師さんたちの力で病気の治る確率というのは増えていますが、子ども自身が生きる気力を無くしてしまったら、治るものも治らないと僕は思っています。
僕の病気が治ったのは医師の方、看護師の方が命をかけて治療してくれた事とともに、院内学級の先生、家族、みんなが僕から病気を忘れるくらい楽しい時間を与えてくれたからだと今でも強く感じています。だから僕はダンスを通して病気や障害を忘れるくらい楽しい時間を提供するお手伝いをしたいと考えています。
幼少期白血病発症したことから、横浜中心に特別支援学校や福祉施設などで治療中の子どもたちや知的障害者、肢体不自由者のためのワークショップを独自展開しています。
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